今回、CDエナジー社員は、能登半島地震の被害と復興の現状を正しく理解するため、復興防災ツアー「クエスト輪島」に参加しました(※2025年11月参加)。
クエスト輪島は、輪島出身の19歳の中村さん(2025年時点)が案内役を務め、参加者が輪島の街を歩きながら地域の歴史や震災の被害、そして復興の歩みを学べる体験型のプログラムです。
輪島市内を歩き、住民の声に耳を傾け、避難所生活にも触れるなかで、日々の暮らしの裏側にある課題や、備えることの大切さを実感しました。
本記事では、クエスト輪島に参加し、実際に歩き、話を聞き、その場で感じた戸惑いや気づき、そして復興の「今」を、そのまま記します。

輪島の「今」を歩く
輪島市内を歩くと、震災前のにぎわいとはまったく異なる景色が広がっていることに気づきます。ニュースで見てきた光景と、実際に歩いて感じる空気は、まったく別物でした。
焼失エリアは更地に

輪島市内を少し歩いて最初に案内してくれたのは、かつて観光客でにぎわっていた朝市通りでした。がれきが撤去された朝市通りには、思っていた以上に広い空間が残っていました。
更地となった朝市通りには、すでに雑草が伸び始めていましたが、ここに小さな商店がぎっしり並んでいた様子を、うまく想像できませんでした。


「全部、火事でなくなった」と淡々と話すのを聞き、想像できないこと自体が、この被害の大きさなのかもしれないと感じました。

「前と同じようには、戻せないらしいです」
そう聞いたとき、理由をすぐに深く尋ねることができませんでした。
あとから知ったのは、建築基準法の変更により震災前と同じ形での再建が難しくなっていること、そして地域ごとの事情が複雑に絡み合い、復興計画そのものが難航している現状があるということでした。
かつては観光客でにぎわい、地元の方で行き交っていた通りが、いまは建物の跡形もない更地として目の前に広がっています。
そのギャップをどう受け止めればいいのか、正直、答えが見つかりませんでした。
空き地から見える復興に向けた動き

仮設テントの中には、新鮮な海産物や野菜、輪島塗の雑貨が並び、出店者と買い物客の会話が絶えず続いていました。
「これ、今日は入ったばかりなんです」
そんな声が飛び交い、ここだけを見ると、以前と変わらない日常が戻ってきているようにも感じられます。
朝市エリアが焼失したあと、輪島朝市は「出張輪島朝市」として、各地の商業施設やイベント会場で営業を続けているといいます。

ふと元の朝市通りに目を向けると、広がる更地の中に、「イナチュウ美術館」だけが静かに残っていました。
「あの建物だけが残った理由はいまだに話題になるんです」
そう話す表情は、どこか複雑でした。
空き地の向こうに、失われた日常の大きさと、それでも続いていく商いの力が、同時に重なって見えた気がしました。
仮設住宅で続く暮らしの変化

次に案内してくれたのは、現在も多くの住民の方が避難生活を送られている仮設住宅です。
仮設住宅の前で立ち止まったとき、思っていたよりも静かな空気が流れていました。
「子どもが外で遊ぶ場所が、あまりないんです」
そう教えてくれた言葉が、妙に耳に残りました。
仮設住宅では、環境のストレスや人間関係の揺らぎが日々の暮らしに影を落とし、とりわけ子どもや若者が活動できる場の不足が深刻な状況になっているそうです。
住まいは確保されていても、そこで続く毎日の過ごし方までは、簡単には整わない——そんな現実を目の当たりにしました。
失われた日常と、外へ出にくくなる暮らし

「朝からテレビを見て、一日中家で過ごしています」
そう話す住民の方の言葉が、強く印象に残りました。
震災後、輪島では飲食店や商店など、ふと立ち寄れる場所が多く失われています。気軽に立ち寄れる場所の多くが倒壊したためです。街を歩いても、人の集まる気配は以前より少なくなっているようで、市内全体に静けさが広がっているように感じました。
仮設住宅での暮らしでは、外出のきっかけを失いやすく自宅にこもる生活になる人もいるそうです。
コミュニティセンターや集会所もありますが、足を運ぶ人は限られています。地域にあった小さな商店や、ふと立ち寄れる場所が失われたことが、人々の行動範囲や心理にも影響を与えていることが伝わってきました。
店や娯楽の場がなくなることは、単に不便になるだけでなく、「外へ出る理由」そのものを奪ってしまうのかもしれません。
仮設住宅で続く不安定な暮らしとコミュニティの揺れ

「当たったこと、まわりに言えなかったんです」
仮設住宅の話題になると、そんな住民の方の声を何度か耳にしました。
仮設住宅への入居は抽選方式だったため、「なぜあの人が当たって、自分は当たらなかったのか」といった不満が、表に出にくい形で残っていたといいます。
住まいが確保されたあとも、気まずさを抱えたまま暮らす感覚が、しばらく続いていたようです。
初期に建てられた仮設住宅では、壁が薄く、生活音が外に漏れやすいという声も聞きました。
思春期の子どもがいる家庭では、家族間の距離の近さが、思っている以上に負担になることもあるそうです。

そんな中、コンテナ型の仮設飲食店が営業を始め、人が集まる場所になっていました。
居酒屋やスナックで交わされる会話が、家の外で息をつく時間をつくっているように見えました。
仮設住宅での暮らしは、不安や違和感を抱えたまま続いています。
それでも、人が集まる場所が生まれていること自体が、この街の回復力を感じました。
子ども・若者の「活動の場」は失われたまま

「本気で部活動を続けたい子は、市外の高校を選びました」
その一言が、頭から離れませんでした。
震災後、輪島では子どもや若者が体を動かし、経験を積む場が大きく減っています。
市内の運動施設の多くは仮設住宅の建設地となり、サッカー場やバスケットコートも使えない状態が続いているそうです。
部活動のために、片道30分以上かけて能登空港のグラウンドまで通う生徒もいると聞きました。
その距離が、日々の生活の中でどれほどの負担になるのか、想像せずにはいられませんでした。

震災による被害は、建物倒壊や焼失といった物理的な面だけではありません。将来を担う若い世代が経験を積む場・交流する場が失われたままであることは、地域の未来にとっても大きな損失であり、早急な対応が求められています。
自宅の被害と今の暮らし

実際に被災された方のご自宅にも入らせていただきました。
外から見れば無事に見える家でも、中に入ると状況はまったく違っていた――
そう語る住民の方の言葉が印象に残りました。
倒れた家具・崩れた壁

本棚やピアノが倒れ、壁がはがれ、家の中でも靴を履かなければならなかったという話から、生活の基盤が一気に崩れる感覚が伝わってきました。災害直後には軽い被害に見えても、時間が経ってから実態が明らかになるケースもあったそうです。
壊れた家電を少しずつ買い直し、修理できるものは使い続けながら、なんとか生活を立て直している。
それでも住民の方が、「家族が無事だったことが何より」と何度も繰り返していたのが印象的でした。
家具や家電の損傷
冷蔵庫や給湯設備、電子レンジが倒れて壊れてしまったという話も聞きました。
「揺れで家電が倒れた瞬間に水が出なくなって、その後の生活が本当に大変だった」
そう語られた住民の方の言葉から、日常を支えていたものが一気に途切れる感覚が伝わってきます。
壊れた家電や内装は、すぐに元に戻せるものばかりではありません。
買い替えには時間も費用もかかり、修理できるものは修理しながら、少しずつ生活を立て直していったといいます。
何かを工夫したというよりも、「そうするしかなかった」という言葉のほうが、しっくりくるように感じました。
「これからは家具の固定を徹底しようと思います」
そう話す住民の方の言葉が、前向きというより、後悔から活きた教訓に近い響きとして残りました。
いまも残る地盤被害とインフラ復旧の遅れ

市内を歩いていると、足元に小さな違和感が続きました。
マンホールがわずかに盛り上がり、道路はところどころ歪んでいます。
見慣れたはずの市道なのに、どこか歩きづらく、自然と足元を確認しながら進んでいました。
市道や生活道路に残る隆起・傾きの爪痕

「自分が傾いているのか、道路が傾いているのかわからなくなるんです」
その言葉どおり、感覚が定まらないまま歩く時間が続きます。
電柱やカーブミラーが傾いたままの場所もあり、補修を終えていない道路では、今も通行に注意が必要だといいます。

玄関に年始の飾りが残ったままの建物や、割れたガラスが散乱した道路を目にすると、震災から時間が流れているのか、止まっているのか、わからなくなる瞬間がありました。
電力・通信設備の復旧格差と続く生活への影響

その場所では、「ちゃんとつながる」ことを前提にできない暮らしが続いていました。
「通信は、ほとんど手つかずなんです」
こうした声が上がる背景には、通信の復旧状況が地域ごとに大きく異なっている現状があります。
市道や通信設備の復旧が進んでいない地区では、連絡や情報収集が思うようにいかず、日常の段取りそのものが立てづらい状態が続いているそうです。
電柱の建て替え工事では、深夜から早朝にかけて停電が続くこともあると聞きました。
眠っているあいだに電気が止まるかもしれない、という前提で暮らすことが、特別ではなくなっているように感じました。
支援と地域のつながり

避難生活や復興の現場では、住民同士のつながりや地域文化の力が、心の支えとして重要な役割を果たしていました。物資支援やボランティア活動だけでは補えない、地域の結束のかたちにも触れます。
祭りがつなぐ地域の心

住民の方にインタビューさせていただいた中で、能登の祭りの重要性が繰り返し語られていました。
「お盆や正月には帰ってこない若者も、祭りの日だけは必ず戻ってくる」という話や、「祭りは地域の結束を確かめる日であり、復興のシンボルになる」という声が印象的でした。
地震が発生した年にも、規模を縮小した仮設の祭りが行われ、安否確認を兼ねた重要な場になったといいます。
祭りを通じて人々が再会し、復興への気持ちを共有する姿を見て、コミュニティを支えるのは物理的な支援だけではなく、文化や行事の力も大きいと感じました。
非常時こそ、地域行事が「帰る理由」や「つながる理由」として力を発揮します。日常から地域のイベントや祭りに参加し、コミュニティの一員として関わりを持つことが、災害後の支え合いを生む土台になると感じました。
ボランティアと若者が作る新しいコミュニティ

今回参加したクエスト輪島では、大学や企業の支援で炊き出しや泥かきが行われ、学生ボランティアが公園づくりに参加している姿が印象的でした。
地域の若者も主体的に動き、金沢工業大学の北川教授が手がける仮設型拠点「インスタントハウス」を倉庫や遊び場として活用しながら、公園や交流スペースを自分たちの手で作っているという話を聞きました。
訪れたインスタントハウスの内部には、「被災した海をもう一度つくる」というコンセプトで砂場(すなば)を再現したスペースがあり、泊まることもできるといいます。

支援する人、支援される人という関係よりも、同じ場所に集まり、同じ時間を過ごしている。
こうした新しいコミュニティづくりは、支援の受け手と担い手の境界を越えて「一緒に街をつくる」雰囲気を生み出しており、被災地が前を向く力になると感じました。
“知る”ことからはじまる「備え」の一歩

クエスト輪島では、倒壊した建物や更地になった朝市跡を歩きながら、住民の方々から震災当日のことや、その後の暮らしについて話を伺いました。
能登地震の被害や復興の状況を「知る」ということは、被害の規模を把握するだけでなく、災害時・災害後に人々がどのような判断を迫られ、どんな行動が難しくなるのかを具体的に想像することでもあると感じました。
たとえば、
- 揺れの最中に家の中で身を守る判断ができるか
- 揺れがおさまったあとに家に戻るべきか外に出るべきか迷わないか
- 通信がつながらない状況で、家族や周囲とどう連絡を取るのか
こうした判断は、事前に知識として知っていたとしても、実際の現場では思うように実行できない場面が少なくありません。
印象に残ったのは、知識や準備が無意味だということではなく、「知っていること」と「その瞬間に動けること」のあいだには、大きな隔たりがあるという現実でした。
一方で、現地で話を伺う中で、日々の暮らしの中で築かれてきた人とのつながりや、支え合える場の存在が、震災後の生活を続けていくうえでの支えになっていたことが伝わってきました。
今回のクエスト輪島のツアーを通して、防災とは、特別なときのためだけの備えではなく、いざという瞬間に「動ける自分」でいるための準備なのだと、改めて感じました。
家具の固定を確認する。避難経路を家族と話し合う。地域の防災訓練に参加してみる。
輪島で見た「備え」は、どれも日常の延長線上にあるものでした。
「防災エナジー」では、この経験を忘れず、日常でできる防災について発信していきます。ぜひ活用しながら、できることから一緒に始めていきませんか?



