災害のリアル

令和6年能登半島地震から2年。輪島に残る被害と復興のいま

令和6年に発生した能登半島地震から約2年が経過しました。しかし、輪島では、いまも住宅の再建や生活インフラの復旧、地域コミュニティの立て直しが続いています。

こうした状況のなか、私たちCDエナジーの社員は、能登半島地震の被害と復興の現状を自分たちの目で確かめるため、地元高校生の案内で街を巡る復興防災ツアー「クエスト輪島」に参加し、数字や報道だけでは見えてこない、能登の日常と復興の現実に向き合いました。

災害はいつ、どこで起きるかわかりません。遠い地域での出来事だと受け止めるのではなく、身近な課題として捉える視点が大切です。

輪島の現状を知ることは、日々の備えを見直す大きなきっかけとなるでしょう。

目次

輪島で起きた被害と現在の復旧状況

令和6年1月1日の16時10分に発生した能登半島地震(M7.6)は、輪島市で震度7を記録し、多数の家屋倒壊と大規模火災を引き起こしました。

輪島市では227名が命を落とし、うち126名が災害関連死と確認されています。

行方不明者は2名、重軽傷者は500名を超えました。特に高齢者の被害が目立ち、避難生活の長期化が健康面に大きな影響を及ぼしました。

住家被害は全壊が2,311棟、半壊が3,971棟、一部損壊が4,352棟に上り、被害は広範囲に及びました。特に観光地である朝市周辺では、火災により約240棟が焼失し、歴史ある街並みや商店街の経済基盤にも大きな打撃を与えました。

現在、市内ではがれきの撤去や家屋の解体が進んでいます。朝市エリアの再建も始動していますが、生活再建や地域インフラの回復には、依然として時間を要する状況です。

参考:
内閣府|令和7年版 防災白書|特集 第1章 第1節 令和6年能登半島地震の概要と被害状況
輪島市|令和6年能登半島地震による被害等の状況【2025.9.24・15時現在】

仮設住宅と避難生活のリアル

能登半島地震の発生から時間が経過した今も、輪島市では多くの住民が仮設住宅で暮らしています。しかし、応急的に建設された仮設住宅には限界があり、環境の差や地域条件によって、避難生活の質に大きな差が生まれています。

仮設住宅の生活環境

輪島市に設置された仮設住宅は、おもにプレハブ型です。世帯人数に応じた間取りが割り当てられ、浴室やキッチンなど最低限の設備は整っています。

現地では「3人家族が住むには十分な広さ」という声も聞かれましたが、湿気や結露がひどく、仮設住宅のなかでも住環境の良し悪しには差があるといいます。

また、壁が薄いため、生活音が響きやすく、プライバシーが守られにくいという声もありました。

さらに、仮設住宅の立地にも課題があります。周辺に商店や医療機関がない場所では、車がないと生活に支障をきたすケースもあり、「買い物も通院も不便」という訴えもありました。

ほかにも、仮設住宅の場所・部屋の当たり外れ(例えば、入居できた人とそうでない人との間での不公平感や、日当たりの良い部屋の割り当てをめぐる住民同士のトラブルなど)をめぐる人間関係の摩擦や、仮設住宅へ移れず避難所に留まる人々との間で生じる心情の格差も、地域コミュニティに新たな緊張を生んでいます。

こうした環境の違いや不便さは、災害時の「住まいの確保」がいかに重要かを教えてくれます。日頃からいざというときの避難先や移動方法を家族で共有し、災害時の暮らしを具体的に想像して備えておくことが大切だといえるでしょう。

支援物資が生む課題と「依存」が生まれるリスク

能登半島地震後は、炊き出しとしてアルファ米や牛丼などが提供され、その後は水や野菜などが企業から配布されました。

しかし、現場では、課題も顕在化しました。非常食や水、支援物資を必要以上に受け取ったり、転売目的で持ち帰る人もおり、公平性が問題視されていたといいます。

列に並ぶ中で支援物資を巡ったトラブルが起き、スタッフが「一人1つ」と繰り返し呼びかける場面もあったそうです。

また、被災していないにもかかわらず夕食や物資を目当てに避難所へ通う人もいるため、支援が自立を妨げる要因になっているという指摘もあります。

支援を継続する一方で、配布方法を透明にし、住民自身の自立を促す仕組みづくりが求められているといえるでしょう。

健康被害と震災関連死の状況

長期化する避難生活により、震災関連死や健康悪化が懸念されています。寒さによる体調不良、通院の困難、持病の悪化、精神的ストレスなどが主な要因とされ、生活環境の整備が急がれます。

仮設住宅では断熱性能が不十分で、湿気が多いため、体温調節が難しく、体調を崩す例が報告されています。特に高齢者への影響は大きく、寒暖差や室内環境の悪化が健康リスクを高めています。

また、避難先から仮設住宅への移行が遅れた結果、持病が悪化して亡くなった例も確認されています。地域医療の提供不足が相まって、必要な治療やケアが行き届かない現実が浮き彫りになっています。

健康被害は目に見えにくく、徐々に進行します。避難生活の長期化を前提に、常備薬の準備や医療情報の整理、暖房器具の確保など、日頃から「健康を守る備え」を整えておくことが大切です。

観光・漁業など経済への影響

輪島では観光と漁業が地域経済の主要な柱でしたが、能登半島地震によって観光地や宿泊施設が壊滅的な被害を受け、漁港の機能も大きく低下しました。現在も観光客の姿はほとんど見られず、漁業者は仮設港の完成を待ちながら、厳しい状況に耐え続けています。

朝市通りの消失と観光産業の停滞

とりわけ象徴的なのは、輪島の観光の中心である朝市通りの消失です。地震直後の大火災と建物倒壊により、ほぼ全域が失われました。

店主の多くは店舗を再建できず、組合内部の意見の対立も影響し、再建計画が進んでいません。また、主要ホテルの建物が地震の揺れで傾くなどの被害も受けており、2025年11月現在、観光客の姿はほとんど見られません。

その結果、観光関連の飲食・土産・工芸などの産業は大きく停滞し、従業員が他地域に移るケースも増えていると地域住民の方はいいます。

地域の象徴が失われることは、経済だけでなく心の支えにも影響します。被災地を支える手段として、「訪れる」「買う」「知る」といった継続的な関わりを意識することが重要です。

漁港と産業インフラの損壊

漁港や関連施設の損壊も深刻で、岸壁の損傷や施設の利用不可により漁船が出港できない日が続いています。

「仮の漁港」は現在建設中で、短期復旧は2〜3年の完了を目指していますが、それまで操業の制約が続くため、漁師たちは生活の糧を得られず困っているという声があがっています。

震災前、輪島はふぐの水揚げ量で日本一を誇っていました。しかし、港が機能しない状況下では継続が難しく、水産業全体が低迷しています。漁業者の高齢化も進んでおり、復旧の長期化は担い手不足の深刻化を招いています。

学校・教育の現状

地震の影響で、輪島市内の学校施設は著しく損傷しました。たとえば輪島高校では校舎が傾き、現在も校舎の利用が制限されています。そのため、生徒たちは仮設校舎や地域の別施設へ移動して授業を行う状況が続いています。

復旧には長期間を要する見通しで、児童生徒数の減少が課題となっています。

傾いた学校校舎

訪問した輪島高校の校舎は大きく傾き、内部も傾斜しているため教室や廊下が水平でなくなっていました。職員室では長時間の作業に支障が出るほどです。

窓や建物の連結部分にもずれが生じていました。

体育館も同様に傾いており、部活動や学校行事の開催が難しい状況が続いています。校舎の耐震補強や建て替えには多額の費用と時間が必要で、令和10年度まで復旧が完了しない見通しです。

教育施設の安全性が揺らぐと、子どもたちの教育だけでなく地域社会全体の機能が止まってしまいます。建物の耐震性の確認や、避難先の共有など、地域での備えが求められます。

子どもの生活と学習環境の変化

地震発生直後は、被災した複数の小中高校が1つの校舎を共有して授業を行っていました。その後も、市外へ避難して授業を受けるなど、学校生活は大きく揺れ動いたといいます。

運動場や体育施設は仮設住宅や資材置き場に転用され、部活動は市外の施設で実施するケースも多く、長距離通学を強いられる生徒もいます。学習環境が安定しないことが課題となっています。

こうした教育環境や移動手段の確保は、家庭だけで解決できるものではありません。災害時は学校や自治体が連携し、継続的に支え合う体制を整えることが不可欠といえるでしょう。

若者の進路と人口流失

輪島高校では、震災前は毎年100人前後が入学していましたが、震災後は入学者数が大きく減少しました。2024年度の入学者は76人、2025年度は78人にとどまっています。さらに、卒業後は進学や就職を機に市外へ移る生徒が多く、若者の流出が続いていることも課題となっています。

地元に残るのは公務員や漁業など限られた職業が中心で、若者の流出が続いています。地域では、若者をつなぎとめるための教育環境の改善と雇用創出が急務とされています。

復興に向けた取り組み

輪島では、住宅やインフラの復旧に留まらず、地域の再生と将来を見据えた取り組みが進められています。現地では行政だけでなく、大学や企業、住民が連携して、コミュニティの再構築や情報発信に取り組む様子が見られました。

企業・ボランティアの支援

現地では、企業や大学、ボランティアがそれぞれの立場から積極的に復興を支援しています。

たとえば、復興防災ツアーのガイドによって、学生ボランティアが炊き出しや泥かき作業を手伝ったケースや、大学の研究者が開発した「インスタントハウス(防炎シートを膨らませた仮設小屋)」を地域活動や倉庫に活用している事例が紹介されました。

こうした取り組みは、住民による自主的なイベントの開催を後押しする基盤にもなっています。若者が地域に関わる機会も広がっており、高校生が公園整備や交流拠点づくりに参加する例も見られます。

行政だけでは対応が難しい生活支援や新しいコミュニティ作りが、民間の柔軟な協力によって支えられているのが特徴です。

災害は誰にとっても他人事ではありません。自分が被災したときにどう行動するかを考えると同時に、復興を支える側としてどのように関わることができるのかを日頃から意識しておくことも大切です。

備えへの準備は、自分の命と暮らしを守るだけでなく、困っている誰かを支える力にもつながります。

情報発信と災害教育の新しい形

今回の取材では、輪島の高校生が自ら語り部となり、震災の記憶や復興の現状をツアー形式で伝える活動に参加しました。

若い世代が主体となって発信する取り組みは、地域外からも注目を集め、新聞やテレビなどのメディアにも取り上げられています。

こうした活動を通じて、現地の状況を広く社会へ伝える機会が増え、災害を「他人事」にしないきっかけづくりにつながっています。

輪島での経験を発信し続けることで、防災教育の新しい形として社会全体の防災意識を高める重要な契機となっているといえるでしょう。

地域の経験を「伝えること」は、それ自体が防災につながります。自分の地域の歴史や災害リスクを知り、家族や周囲と共有しておくことが、未来の被害を減らす力になります。