旭市防災資料館 サムネイル

災害のリアル

旭市防災資料館を見学。語り部が伝える津波と命の教訓

「もし、あの日のような津波が再び来たら、自分は逃げられるだろうか?」

「教科書で学んだ知識だけで、本当に命を守れるのだろうか?」

防災への関心が高まるいま、誰しもが一度はそんな不安を感じたことがあるのではないでしょうか。

東日本大震災で宮城県、岩手県、福島県を中心に津波による甚大な被害がありました。その中で関東地方では、最多となる14人の命が奪われた千葉県旭市。なぜ被害はここまで大きかったのでしょうか。

今回、CDエナジーの社員が訪れたのは、千葉県旭市にある「旭市防災資料館」。本記事では、展示の見どころや、語り部・宮本英一さんのインタビューを通じて見えてきた防災の本質を社員の体験や気付きとともにお伝えします。

目次

1.防災資料館が生まれた理由

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東日本大震災による津波の被害を伝える拠点として誕生したのが、旭市防災資料館です。もともとは「いいおか荘」という宿泊施設で、地域の人々にとっては食事や披露宴などで利用されていた身近な施設でした。

震災後には取り壊しも検討されましたが、解体費用が1億8000万円以上と判明したことや、「復興のシンボルとして残したい」という声から存続の方向へ転換しました。

旭市防災資料館には、管理人として2名のスタッフが在籍しており、小学生の社会科見学をはじめ、59,935名(2025年3月末時点)の来館者が震災の教訓を学んできました。

2.語り部としての活動が始まった背景とその歩み

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旭市防災資料館の管理人を務める宮本英一さんは、震災後、被災した自宅を修繕して地元にとどまりました。

甚大な被害を受けた東北3県に注目が集まるなかで、「旭市の被災経験や教訓も伝えなければ」という思いを抱き、2013年からNPO法人「防災千葉」で語り部としての活動を開始しました。

「亡くなった人もいるなか、自分は助かった身ですので、その時のことを地元では話せなかった」と言います。それでも、語ることが誰かの役に立つと信じ、徐々に自身の気持ちを整理して、震災から10年を機に市からの依頼もあり、「地元に恩返しをしたい」という思いから、資料館の管理人を引き受けたといいます。「もう誰にもあんな思いはさせたくない」その願いを胸に、今も語り部として被災の記憶と教訓を伝え続けています。

3.高台から見た町の姿と、津波の教訓

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旭市防災資料館がある「いいおか潮騒ホテル」の屋上は、津波避難ビルとして整備されており、地上約11メートルの高さから町を一望できます。

実際に屋上へ上がり、震災当時の津波の様子や、旭市の地形的な特徴について宮本さんに詳しく話を伺いました。宮本さんは、当時をこう振り返ります。

「あのときは、津波は東から来るものと思っていた。でも実際には、一度通り過ぎたあと、西から第3波が襲ってきたんです」

映像にも残るこの現象は、津波が陸地に近づくと地形の影響で進行方向を変える性質によるものだといいます。

特に旭市飯岡地区は、津波のエネルギーが集中しやすい地形であることが、震災によってあらためて明らかになりました。

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「津波は水深の深い海域から浅い海域へと進むにつれて曲線を描きながら進み、両側の深い海域からの速い津波が中央部に集中するんです。その頂点が、まさにこの飯岡地区でした」

宮本さんは、「あの静かな海が一瞬にして牙をむいた。津波は何回も襲ってくるということを常に覚えていてほしい」と強く注意を促しています。

4.展示室でたどる震災の記録と教訓

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旭市防災資料館の展示室では、東日本大震災がこの地域にもたらした被害と、そこから得られた教訓を、写真や映像、実物資料などを通して体感的に学ぶことができます。

入ってすぐ目に入るのは、津波により破壊された家屋や車両、そして町が水没した直後の映像。町を襲った津波の猛威と、その被害の大きさがひしひしと伝わってきます。

特に印象的なのは、「忘れじの時計」と名づけられた、午後5時26分で針が止まった柱時計です。この時刻は、2011年3月11日、旭市を襲った最大の津波が到達した瞬間を刻んでいます。地震発生から約2時間40分後という、想定外のタイミングでした。

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また、壁一面に広がる展示パネルには、被災直後の町の様子や津波による被害の規模、そして「なぜ旭市に被害が集中したのか」という視点からの解説が並びます。写真や数値データなどを通じて、日常が一瞬で失われた現実と、災害のメカニズムを知ることができました。

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展示室全体には、「あの日を忘れず、命を守る行動につなげてほしい」というメッセージが貫かれています。

5.談話室での学び

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旭市防災資料館にある談話室は、防災教育の拠点としても活用されています。

東日本大震災の記録や防災意識を高める各種映像も上映されており、小学生の社会科見学など学びの場としても活用されています。

談話室では、津波の被害を実際に経験した語り部・宮本英一さんによる講話も行われています。

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宮本さんは、「地震は突然やってくる」「津波は一度で終わらず繰り返し襲ってくる」「津波は音もなく堤防を越えてくる」と繰り返し訴えています。

実際、旭市では津波により14人が命を落とし、2人が行方不明となりました。その多くが、1回目や2回目の津波のあとに「もう来ない」と思って自宅に戻った際、3度目の大津波に襲われたといいます。

また、津波は海がそのまま盛り上がって押し寄せるため音がせず、堤防を越えた瞬間に初めて音がするのだそうです。こうしたリアルな語りは、防災意識を深める大切な学びにつながっています。

6.震災から14年、地域の防災はどう変わったか

旭市では、震災から14年が経った今も、防災意識を風化させない取り組みが続いています。

市内では毎年「地震→大津波警報→避難」を想定した訓練を実施し、徒歩や避難タワーへの“垂直避難”が定着しつつあります。

また、緊急地震速報を活用した訓練では、警報音のあと「まず何をすべきか」を体で覚えることを目的としています。

「揺れが収まったら、迷わず避難」この行動の積み重ねが、未来の命を守る力につながっています。

一方で、震災をきっかけに住まいを移した人や元の町内会に戻らなかった世帯もあり、地域のつながりは少しずつ形を変えています。資料館や語り部の活動は、そうした分断を越えて“地域の記憶”をつなぐ役割を果たしているのです。

7.利用案内とアクセス情報

旭市防災資料館は、震災の記録と教訓を後世に伝えるために整備された施設です。館内では自由に展示を見学できるほか、団体利用の申し込みも可能です。

防災学習の拠点として、ぜひご活用ください。

項目内容
所在地〒289-2713 千葉県旭市萩園1437番地(いいおか潮騒ホテル 1階東側)
TEL・FAX0479-57-6712
開館時間午前9時~午後5時
休館日月曜(祝日の場合は開館し、翌平日が休館)、祝日の翌日、年末年始(12/29〜1/3)
入館料無料
アクセス自動車
・東関東自動車道路「大栄IC」より、県道70号・国道126号・県道30号経由で約55分
・千葉県東金道路から銚子連絡道路「匝瑳IC」より、国道126号・県道30号経由で約30分
※無料駐車場あり(大型バスも駐車可)

電車+バス
・JR総武本線「旭駅」より、千葉交通バス銚子行「食彩の宿いいおか入口」下車 徒歩5分
※バスの本数が少ないため、事前の時刻確認をおすすめします。

高速バス
・東京駅八重洲口発、旭経由銚子行き「飯岡保健福祉センター前」下車 徒歩15分

なお、展示室・談話室での見学のあとは、併設の「いいおか潮騒ホテル」での滞在も可能です。

8.「自分の命は自分で守る」ために

旭市防災資料館は、津波が三度にわたり襲来し、尊い命と暮らしが奪われたあの日の記憶を風化させることなく、未来の命を守るために伝え続けています。

「自分の命は自分で守る」これは、語り部として活動する宮本英一さんが繰り返し伝えているメッセージです。避難の判断を他人に委ねるのではなく、自らの判断で命を守る行動を取る。その意識を育てるためにも、防災資料館で得られる学びはとても貴重なものといえるでしょう。

ぜひ一度訪れ、自分と大切な人の命を守るために、知識と意識を深めてみてください。